私の母「喜久代」のヒストリー

西岡家の家族写真 代表日記

2026.5.10

今日は母の日

ゴールデンウイークも過ぎ去り、忙しい現実に戻りました。

この日記は、中京区に事務所を移転してから書き始めました。
最初は不動産に関わる情報を日記の中に織り交ぜ、活動を知ってもらえたら、、、という趣旨だったのですが、かなり早い段階で、プライベート丸出しの好き勝手書き放題の日記になってしまいました😅

最近は父親の森安家にまつわる歴史を紐解いて来ましたが、今日は母の日にちなみ、令和2年に92歳で亡くなった私の母「森安喜久代」について少し書きたいと思います。

母の旧姓は「西岡喜久代」、京都の伏見で生まれました。
アイキャッチの写真は母が子供の頃の西岡家の家族写真です。(前列左から2番目、ベレー帽の少女が喜久代)

西岡家は城陽市で砥石工場を始めます。
当時はかなり裕福だったようで、母が言っていた子供の頃の思い出話によると、学校でみんなが着物に下駄の時代に、私だけ洋服に靴だったと、、、

長じて、奈良女子高等師範学校(奈良女子大学の前身)を卒業、一等航海士だった父「森安憲司」と結婚、小学校の教師をしておりました。

文学に親しみ、エプロンのポケットにメモと鉛筆を忍ばせ、日常の中の気づきを書き留めては和歌にしておりました。

そう言うと、まるで才女で高嶺の花的な女性に思うかもしれませんが、めちゃくちゃ面白い母親でした😆
近頃、母親が面白かった場面しか思い出さないのです(笑)

母と私はまるでハンコのように顔がそっくりだったのですが、性格も似ていて、自分の事が大好きなのです💕

最晩年、老人施設に居た時、レクリエーションで書道をするのですが、私が面会に行くと書道が貼り出された掲示板の前に連れて行き、「私が一番うまい!」と言って自慢するのです。

ある時、新しく入所されたお婆さんが元書道の先生とわかり、母は書道一番の座を明け渡すことになるかも、、、とヒヤヒヤしていたらしいのですが、いざその方が書いてみると、高齢でか腕が落ちていたようで、「やっぱり私の方がうまかった!」と言って、ニヤけておりました🤣

キャンディ(私の嫁)は「この負けず嫌いなとこ、ほんまそっくりやわ」と言っていました、、(笑)

今年の秋は早や七回忌。

丸太町の事務所も見て欲しかったし、京都香川県人会会長の晴れ姿も見て欲しかったけど、「お母ちゃんのおかげで、どこに出ても物怖じせず堂々としていられる図太い神経を受け継いだこと、誇らしく思ってや、、、」と言いたい☺️

母は晩年民生委員をやっていて、地域の福祉に貢献していたのですが、今キャンディもそれを受け継ぎ、民生委員となって奔走しております。

あ〜、ご先祖さまの血を受け継いだこと、感謝、感謝の母の日でした〜🙏🏼

森安喜久代と森安徹

今から20年ほど前の四国旅行での母と私のツーショット。

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